出西水源地

昭和34年(1959)12月発足以来の水道事業の歩みを紹介します。

斐川村と宍道町の共同事業により昭和34年(1959)12月、厚生大臣から広域簡易水道事業の認可を受け、斐伊川右岸斐川町大字出西762番地付近に取水井2井を水源とし、第1配水池(出西1,250㎥)第2配水池(佐々布250㎥)を設置し、計画給水人口28,000人、1日最大給水量4,620㎥とする斐川村宍道町水道組合が発足し, 昭和36年(1961)8月11日から通水し供用を開始しました。

第1期拡張事業は、計画給水区域外住民の熱望により昭和39年(1964)に新たに宍道町・小松、浜の2地区を給水区域に加え、第3配水池(白石50㎥)を設置し、計画給水人口28,600人、1日最大給水量4,770㎥と増強しました。又、昭和41年(1966)に玉湯町(月6,000㎥)、昭和42年(1967)に平田市(1日最大給水量75㎥)へそれぞれ分水を開始しました。  

昭和40年代に入り著しい生活水準の向上に伴って家庭用水の需要量は飛躍的に伸び給水戸数2,874戸、使用水量は642,700㎥でした。加えて工場進出などによる産業用水も急増し、計画給水量を突破するようになり、昭和45年(1970)第2期拡張事業に着手、今後の需要増にも対応できるように、出西水源地の取水井3井築造、第4[出西]配水池(出西2,000㎥)、第5配水池(佐々布1,000㎥)を設置し、1日最大給水量を11,300㎥に増加させ昭和48年(1973)に完成しました。  

さらに、玉湯町への分水量増と宍道町内の安定供給を図るため、昭和49年(1974)に来待バイパス線配水管布設事業、昭和51年(1976)には倉敷受水槽(1,000㎥)建設事業に着手しました。昭和52年(1977)からは、第3期拡張事業に着手し、目標年次を昭和60年(1985)として給水人口36,000人、1日最大配水量22,000㎥とする計画で、新たに給水区域として宍道町佐々布、白石、来待で9地区を編入し、取水量を確保するため6番目の取水井の建設、第6[直江]配水池(直江町3,000㎥)の設置、導水管の布設、分水増加に伴う送水管の布設等を施工し昭和55年6月に完成しました。この結果1日当りの分水量は玉湯町へ2,000㎥、平田市へ200㎥となりました。  

より高水準な水道をめざして平成2年(1990)から増補改良事業に着手し、石綿セメント管の布設替え、取水井の更新、災害対応と水圧不足地区解消のための第7[荻田]配水池(10,000㎥)築造、緊急遮断弁を設置し、第1期事業は平成11年度(1999)で完了しました。  

21世紀においても「安全でおいしい水の安定供給」を続けるため、平成12年度(2000)から第2期増補改良事業に着手し、残る石綿セメント管の布設替・第8配水池への送水管の布設、第4取水井の更新、送水ポンプ棟の建築、電気機械設備の新設、第8配水池の築造、除鉄除マンガンろ過施設の新設、次亜塩素滅菌設備の新設、クリプト菌の紫外線照射施設等の整備を進め、平成23年度(2011)に完了しました。

平成17年3月31日、宍道町が松江市と合併し新松江市となって新しい企業団に移行、名称も『斐川町宍道町水道企業団』から『斐川宍道水道企業団』となりました。

平成23年(2011)10月には宍道町5地区簡易水道事業、平成24年(2012)4月には大黒山麓地区簡易水道事業、平成29年(2017)4月には阿宮地区簡易水道事業、島村地区簡易水道事業を統合しました。

令和元年度には除鉄除マンガンろ過施設の追加整備を行い、令和2年度には阿宮浄水場に紫外線照射施設の整備を行いました。